映画「アディクトを待ちながら」〜無駄ではなかった10年と新たな一歩〜

残暑が厳しい8月20日。
岡山県岡山市にあるミニシアター「シネマ・クレール丸の内」で、依存症をテーマにした映画「アディクトを待ちながら」を観てきました。
主演は高知東生(たかちのぼる)さんで、彼が演じる大物ミュージシャン大和涼(やまとりょう)を通して、依存症の苦悩とその解放への葛藤が描かれています。

映画を観る前に、今作品を見た人からの評判を聞いていました。
なので嗚咽するほど心を揺さぶられるのではないかと期待していたのですが、意外にもそれほど迄は、私の感情が大きく揺れ動くことはありませんでした。

もちろん胸がつまるシーンもありました。
映画の中で「やめたくてもやめられない」という台詞が、とくに身につまされました。
私自身も、親密になった女性と共依存を繰り返してきた経験があります。
頭ではわかっていても、身体が反応してしまう。
その甘さから逃れることは、容易なことではありませんでした。

しかし私はこれまで、依存に囚われてきた自分と向き合い、多くのセッションや心の学びを通して、心にフタをしていた無意識の感情と向き合ってきました。
そのおかげで、映画を観るなかで、過去の自分との違いをはっきりと自覚できるようになっていたのです。

映画の最後、高知さんが語った言葉には、アディクト(依存者)が歩んだ苦悩が集約されていると感じました。
それは、私にとっても過去の自分と重なるものでした。
しかし、過去とは異なり、今の私は依存に囚われることなく、心のなかにやすらぎや静けさを感じることができる自分がいます。

摂食障害に苦しんでから10年、私なりに依存から解放されるための道を少しずつ歩んできました。
依存の囚われを手放すために、心の学びや瞑想、タントリック・ヒーリングといったエネルギーワークやボディワークに取り組みました。
そんな中で心から信頼できる仲間と出会い、お互いに励まし合いながら、無意識の感情と向き合えたことが、私をここまで導いてくれたのだと思います。

シアターからの帰り道、ふと
「ずいぶんと回り道をしてきたけれど、無駄ではなかったな」と感じました。
映画が私の潜在意識の海の底をかき混ぜたかのように、けだるく感じる昼下がり。
ただこれもまた、必要なことなのだろう。

性愛のタロット調律師 たかちゃんのひとこと

これからは、私のように依存に苦しむ人々に、やすらぎや新しい視点を提供できるような、そんなお手伝いができればと思います。
過去の私がそうであったように。
そして今、依存に囚われている人たちが、いずれ「無駄ではなかった」と感じられるような道を歩むと信じています。

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