欲望という沼に蓮(はす)の花は咲く

欲望という沼に蓮の花は咲く

夜の港区赤坂

そぼ降る雨のなか、人の流れはとめどなく。

恋人同士が肩を寄せあい、いずこともなく消えてゆく。

信号待ちの傘の中で私はひとり、遠い昔にあるお方がおっしゃっていた言葉を思い出していた。

その言葉は“矛盾”

あれほど体に染み込ませていたはずの、この言葉の意味を。

青かったあの頃の私は、まったく分かっていなかったなと。

思い出し笑いを噛み殺しながら、じっと立ち尽くすしかなかった。

人は誰もが心の内に、あい反するものを抱えています

それを無意識という沼から、そっと手のひらですくい取り。

意識の泉に落とし込むには、今さらながらですが。

あるお方と出会って、2年という月日が必要でした。

今は現在進行形で、青かった頃の自分と向かい合い。

浮きつ沈みつただようマリモのような心のさまを、ただただ味わっています。

それでも、ときおり俯瞰レベルを上げて、辺りを見渡してみれば。

心の底から湧きおこる、泉のような大義名分は。

ともすれば。

自らをおとしめる欲望にもなりかねません。

それはまるで。

汚泥(おでい)に咲く蓮の花のように。

山王下(さんのうした)の交差点で

しぶきを上げながら走り去ってゆく、タクシーのテールランプを眺めながら。

薄ぼんやりとではあるが、つややかな世界があることに思いを馳せつつ。

モノトーンな日常の裏に咲く、蓮の花のような心のさまを。

見ることもなく見つめるアキラでした。

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